ジャズドラマーちぐさ~ジャズな生き方で自分を解放しよう!

ジャズドラマーちぐさ、ジャズな生き方で自分を解放する試みをしています。少し疲れた時、ジャズの名曲と共にジャズな生き方で楽になりましょう。

ハロウィンナイトにガチなジャズバナ


食べてるのはカボチャじゃなくてみかんだよ!
なぜか、それはずばり!カボチャが売り切れだったからなのよ!


先々週にめでたく一周年を迎えたこのブログ。
て、ことで、ハロウィンの今日は初の過去記事アンコール。
chigsajazzy.hatenablog.com


去年のハロウィンはこの曲紹介してたんだっけ。
いやー、せっかく締め切り終わって無事全部納品したから
ハロウィンセッションでも行こうと思ってたら
なんと、家族の急用で行けなくなって泣いた・・・。


しょーがないよね、うん、家族は大事だもん。
でもね、なんだかなぁ。
ま、いっか。じゃ、今年のハロウィン何聴くか?



Eydie Gorme The Gift (Recado Bossa Nova)
ジャムセッションに行くようになってから
自分の聴くジャズのジャンルがぐっと広がっていった。
ぶっちゃけそれまでは、ヴォーカルが入ってるものって
ほとんど聴いてこなかった、ボサノヴァとか。


もちろん、好きなヴォーカルもいる。
でもドラムという楽器柄、メインで聴くのはドラムの音
そうなると、必然的に音数があまり多くない物。
カルテットやトリオになってしまう。
あ、そうそう、同様にビッグバンドもまたほとんど聴かなかった。


でも、セッション行くようになってからは
選り好みしてる場合じゃなくなってきた。
だって、何をリクエストされるか分からないから。
未だに、曲名聞いただけだと
えっと、何だっけと思い出すのに時間かかることもある。
曲知らずのプレイヤーは演奏力以前に話にならない。
だから、歌ものも大所帯も聴くようになったら
これがまた、けっこういいのがあること!


以上、寂しくもちょっと実のある
締め切り終わってすっきり~なハロウィンナイトでした

働き過ぎは何一ついいことがないので、やめといた方がいいですよ

久しぶりに、フリーライターオフ&ジャズドラマーオンの日。
しばらくぶりにジャムセッション言って来た。
それもあえて初めての人たちのところに
飛び込んでいった。



ここのところ働き詰めだった。
フリーライターみたいな
お気楽身分が何を言うか?
て、思ったそこのあなた!
いえいえどうして、フリーの方が
やりようによっては過労&ブラックと
中合わせになるんですよ。
要領悪いと本当に苦労する。
いくら納期から逆算して終わらせても
仕事はガンガンやってくるし
やればやるほどやってくる。
まあでも、有難いことだよね。


その加減がちょっとまだ上手く出来なくて
頭がフル稼働させてたら
やばい!また音楽を聴けない状態
一歩手前まで来た!
こりゃいかん!
ということで、頭の中をごっそり入れ替える意味でも
今日一日は一切パソコンを見ずにいた。
で、本当に好きなことをやってきて
しかも、新しく会う人たちばかりの中にいたので
とてもいいリフレッシュになった。
もちろん、そこにいた人たちもみんないい人だったからだけど。


今忙しくて、ちょっと働き過ぎかなぁ。
て思ってたら、その気づき始めに対処しておこう。
次に休みが出来たら、好きなことをして
脳みそ全部をリフレッシュさせること。
そんな時は仕事のことなんて1ミリも考えちゃダメ!
大丈夫、私でもできるんだから
あなたにもできるはずだから。
働き過ぎはダメ、絶対にね。

SNSに疲れたけどどうしても辞めることができない人のための処方箋

週末なので、本音系ぶっこみます。


SNS疲れという現象が注目されてから久しい。
Facebook、Instglam、Twitter、など一応一通りやっている。
広い意味で言えばこのはてなブログSNSなのだ。
かつてはAmebaにもハマった時期があった。
アメーバピグが可愛くて、自分の分身みたいに感じてたし。


で、ここへきてSNS疲れというものにドップリハマってしまったのだ。
Ameba時代は楽しんでやっていたが
やめた理由は恥ずかしながらちょっと課金しすぎちゃって。
我が分身であるピグを可愛く盛っていくために
若干お金を費やしてしまって
このままじゃヤバイと感じてあえて手を引くことにした。
でもそれは、SNS疲れが理由ではなかった。


その何年か後に、Facebookを始め
紆余曲折を経てインスタやらTwitterまで派生して現在に至る
わけだが、半月ほど前に急にSNSがしんどくなった。
それまではとても楽しんでいたし毎朝チェックするのも日課になっていた。
しかしある時(いつかは正確には覚えていない)に
ものすごく、しんどくなった。
ものすごく、重苦しく感じた。
朝起きてスマホで時計を見る
その過程でいつもワクワクしてたSNS
ズドォーーーーーンと重くのしかかってきたのだ。


はっきりした原因は未だによく分からない。
けど、無意識下で詰め込んでた何かがあったのだろう。
その時はSNS休みます宣言をして雲隠れしてた。
1週間くらいして回復傾向を見て
なんとなく復活してた。
でも復活宣言はしなかった。
またいつ休んで落ちるかが分からないし。


でもね、私がSNS辞めたところで世界が変わるわけじゃない。
駆け出しのひよっこジャズドラマーが
Facebook休んだところで影響受ける人なんて
はたして0.0000…1?パーセントもいるのか?て話。
いっそのこと辞めたっていいんだ!
そう思ったけど、やっぱりやめるのはさすがに怖い。
今年入ってからは、SNSから広がった人間関係がたくさんあるから。
それを完全リセットする勇気はない。


だから思った。
SNSは半分リアルで半分リアルじゃない
からの
スタートだから。
そこで整理してみた。


SNSの目的は
・情報収集(これがメイン)
・発信に重点
・コミュニケはあくまでさらっと
・最終目標は、リアルな仲間を作ること
そして、自分なりにまとめたSNS疲れの原因と対処法は
・コミュニケに重点を置かないこと
・メインの発信ツールはブログが一番
Facebook投稿はすぐに埋もれちゃうことを念頭に
・キラキラ投稿のほぼほぼ8割は、何らかの形で盛っている

いかがでしょうか。
FacebookをはじめとしたSNSに少し疲れた
でもアカウント削除するのはちょっとなぁ
そんな風に感じてたら、時々思い出してみてはいかが?

掛け算と引き算、難しいのはどっち?


"Let It Go" Jazz Cover
ありのままの姿を見せる、見ることを一番恐れている現代人。
だからこそ、この曲とこの映画は大ヒットした。
日本人だけでなくて、世界中の人が同じように感じてるんだよね。


そう、掛け算より引き算のほうがずっと難しい。
掛け算はどんどん増やして盛っていく。
しかし引き算はどんどん減らして
よりありのままに近づける。


自分をより美しく見せるために
化粧や綺麗な服でバッチリ盛っていく。
今じゃ画像加工アプリなんぞという代物を使えば
そんなことはいともたやすい。
ではありのままの素顔を見せられる女性はどれだけいるのだろうか。
メイクをとったあなたは、シミとソバカスだらけで
年齢相応に肌だ下に垂れてて、瞼も下がって目力も失ってる。
それは私も同じ。
すっぴんを見せるのは、とても怖い。


太ること、痩せること、どっちが難しい?
太る方法は簡単。
食べて飲んで寝る。
嫌いな野菜は食べない。
大好きなスイーツや肉、脂、炭水化物摂ってればいい。
でも痩せることとなったら?
食べずに飲まずに動き働く。
美味しい脂肪分や糖分なんてもってのほか。
毎日野菜ばっかり食べてないとだめだ。


言う、言わない、どっちが楽?
言うのは簡単。
思ったままに伝えればいい。
相手のことなど多少考えなくても、我慢しなくていい。
しかし言わぬは花であり、難なことである。
思っても我慢、見えても見ざるを貫く。
気になって仕方なくともその欲求は抑えよう。
つまりは、言わぬが難なのは我慢を強いられるからだ。
スピーチなんかもろにそう。
話したいこと全部盛り込めば10分なんかあっという間。
しかしそれじゃあ相手は疲れてしまう。
ならば3分にまとめよう、となると、半分くらいも言えなくなる。
その限られた中でうまく伝えなきゃいけないから。


でもね、人間のやることなんて常に限られてるんだよ。
限られた場所、限られた人間、限られたお金
そして寿命という限られた時間。
だからその中で精一杯生きて楽しまないといけない。
そのためにはできるだけ無駄なことは省くんだ。
無駄な人間関係、無駄な気苦労
そして最悪の功罪である、無駄な時間。


それでも、ありのままが怖いと言えますか?

リスナーとプレイヤーの大きな違いとは?

音楽の聴き方だ。
リスナーがアルバムを通して聴くことに対して
プレイヤーは1曲を集中して聴く。


なぜか。


プレイヤーの頭の中には、その曲を演奏するという目的があるから。
たとえば今度のライブで演奏する曲があるとする。
その曲のメインリフ、構成、音色、リズムがどうなっているのか
詳細でピンポイントなところが気になる。
そうしないと、楽器演奏者として自分のものにならない。


ジャムセッションなんかだともっとだ。
その場に居合わせて、はいあなた次お願い、といわれてセッティングする。
何が出てくるかはお楽しみ。
たいていフロントの楽器の人が決めることが多いが
セッションホストによっては、演奏者に選ばせる配慮をする方もいる。
セッションやりたての頃は当然知らない曲も多かった。
知っててもタイトルをいきなり言われて、えーと何だっけ、という現象もしばしば。


聴いてる分にはとてもノレルし大好きな曲でも
いざ演奏となると全然違うものになることなんてザラだ。
私の好きなあの曲じゃない!
もっとも悔しい瞬間である。


だけど一度演奏の味をしめてしまうともうやめられなくなる。
一極集中、いや一曲集中な聴き方はこれからも治らないだろう。
もちろん、どっちがえらいとかそんなのはない。
知識量じゃリスナーさんの半端ない容量には到底かなわないから。
でも私にはやっぱり、演奏するほうが合っている。
そう思う理由については、長くなるので後日また。

ずばり言って、心が綺麗な人ってどんな人?


Mona Lisa - Nat King Cole


人間の美の基準の1つとして位置づけられてるのがモナ・リザ
彼女の顔の比率がいわゆる黄金比率の1つの例ともいわれる。
目や鼻など各パーツの大きさや配置、バランスなどの比率で
オードリー・ヘプバーンが限りなく近いらしい。


外見の美醜というのは、好みはあれどもある程度決められる。
しかし、では心や人間の内面というのはどうだろう。
心の綺麗な人って本当にいるのかな?


その答えは・・・


ずばり言って


いない!


そう、いないのです。


人間ってまったくもって不思議な生き物だと思う。
地球上のすべての生物の中で、ヒトだけが唯一感情を持っているといわれます
(いやいや、犬や猫にも感情はあります、というのはすみません。
今は、ちょっとここでは置いておいてください。
これは、犬も猫もどちらも好きな私からのお願いです)。
だから思いやり、譲り合い、仕舞にゃ無償の愛とか
そういう高度なことができるのは
人間だけって言われてるんですよ、今のところ。


でもね、人間だって生存競争に必死なんですよ。
だから騙す、嘘をつく、攻撃する、そして誰かを好きになる。
女が可愛い恰好してぶりっ子するのも
ちやほやされてできるだけ楽に生きるため。
男が見栄を張ってかっこつけるのも
昇進昇級してできるだけ楽に生きるため。
あ、そっか。
生存するための本能はそのままだけど
その手段がえらく高度ってことなのか。


つまるところ、人間だって生きることに必死。
食べて飲んで出して寝ないと死んじゃうてのは同じ。
心が綺麗すぎちゃうと、そこ犠牲にしがち。
だから心が折れちゃうんだよね。
今もししんどいなぁ、て思っているそこのあなた!
もしかしたら、そんなあなたが心のきれいな人、なのかもしれません。
それをどう受け取るかはあなた次第ですけどね。