ジャズドラマーちぐさ~ジャズな生き方で自分を解放しよう!

ジャズドラマーちぐさ、ジャズな生き方で自分を解放する試みをしています。少し疲れた時、ジャズの名曲と共にジャズな生き方で楽になりましょう。

大嫌いよりも恐ろしい感情

大嫌いよりも恐ろしい感情がある。
どうでもいい、という気持ちだ。


大好きだったことが大嫌いになることはある。
なぜならそれだけ思いを込めてやったことだから。
かつての自分がそうなったことがある。
バイクに乗ることが大好きだったのに
あるちょっとした事故をキッカケにして
大嫌いになってしまった。
もう二度と乗るものか!
バイクなんてこの世の中から無くなればいい!
なんて思ってた。
大好きだったぶん、裏切られた感もそれだけ大きかったから。


でも、それより恐怖を感じるのが
どうでもいいという感情だ。
大好き→大嫌いは、場合によっては
→でもやっぱり大好き
というのがあり得る。
なんだかんだで、存在感が気になってしまうから。
どんなにイヤでイライラさせられてても
それもまた愛情の裏返しなのかもしれない
そんな存在意義を見出すからね。


しかし、どうでもいいというのは文字通り
どうなってもいいということ。
無くなろうが存続しようが
自分には痛くもかゆくもない
それっぽっちの存在でしかないということだ。
その代表的なものに、うつ病の症状にある
好きだったことに興味がなくなることだ。
あんなに好きだったのに
あんなに楽しかったのに
あんなに必要としていたのに
それが生きてても死んでても関係なくなるのだ。
これはかなり異常な事態である。
でも、うつ状態に陥ると、人はいとも簡単にそうなることが立証されてるのだ。
これを人に置き換えたら…
その人の生存がどうであろうが知ったことではない。
近しい人からそう認定されたら…
と想像したらその異常さに気づくはずだ。


もし今、何かに対して急にどうでもよく思ったら
ちょっと考えてみてほしい。
私は過去に一度だけ、音楽が聴けなくなったことがあるが
あの時のことが思い出せない。
ただ、感情というものを抜き去られた感覚だけ覚えてる。
良くも悪くも冷静すぎた時期だったなぁ、と。
感情の波風はとても小さかったけど
毎日無味乾燥でつまらなかったことだけは記憶している。


心が疲れた時は特に危険だ。
気をつけてほしい。
最近、どうでもよくなったもの、事、人はないかな?