これがレジェンドの生きる道。徹底的にやって徹底的に内省する。
ジャズ界でレジェンドと言えば?
と聞かれると多くのリスナーが答えるだろう。
ソニー・ロリンズ(saxophone)
1930年9月7日ニューヨーク生まれ。
御年86歳、未だ現役だ。
この年代に生まれ今もなお生きていて
激動のジャズの移り変わりを見てきた。
今当時のジャズを生で語れるミュージシャンはもうほとんどいない。
大変貴重な存在だ。
歌心があり、肩肘貼らないメロディスタイルは今もなお、多くのリスナーの心を掴んで離さない。
サックスに出会ったのは7歳のとき。
11歳で本格的に学び高校時代にテナー・サックスへ。この頃の盟友がジャッキー・マクリーンだ。
さらに当時のカリスマサックス奏者コールマン・ホーキンスはご近所さんで
彼のサインが欲しくて押しかけてしまうほどの熱烈ぶりだった。
プロとしての初レコーディング作は1949年
その年に初の自作曲「Audobon」をリリースし少ししてバド・パウエルと仕事をする。
1950年代はマイルス・デイヴィスと出会い多くの人脈を作った。当時人気だったモダン・ジャズ4tetをバックにリーダー作を制作し
憧れのバードとの共演が実現した。
しかしその直後に一旦活動を停止したが
幻のクリフォード・ブラウンとクインテットを組み
参加していたドラマー、マックス・ローチのサポートを得てバンド・リーダーとしても再起する。
そして、1956年、最高傑作「サキソフォン・コロッサス」をリリース。
このアルバムは高く評価され一気に出世した。
収録曲の「セント・トーマス」は彼のライブに欠かせない一曲となり、またスタンダードとして多くのジャズマンがカバーしている。
1957年にはカーネギーホールでのコンサートを成功させ、まさに絶好調にあった。
人気も実績も絶頂期だが、突然彼は引退した。
自身を見つめ直すためだった。
しかしそれから数年後、彼は突然活動を再開する。新作をレコーディングしその一方でラテンミュージックにも興味を抱くなど、好奇心が旺盛になっていた。
1963年のニューポート・ジャズ・フェスティバルでは再び憧れの存在と共演した。
それがかつてご近所にいた
コールマン・ホーキンス
同年に初来日した時はモヒカンヘアにしたが
日本のファンにとって、それはさぞかし斬新でぶっ飛んでいたように見えたろう。
しかしそのわけは深いものがある
「同じマイノリティとして
インディアンが抱える社会問題のことを考え
いてもたってもいられなくなって髪を剃った」と彼は後年話している。
その後も映画音楽の制作や
二度目の来日公演も行い
安定した活動をしていたが
三回目の休養をした。
インドで精神修行をするために。
1972年に修行から復活。
この時期の彼はハービーやマイケル・ブレッカー同様
エレクトリックサウンドへの試みをしており
他ジャンル理解にも果敢に挑戦した。
スティーヴィー・ワンダーのIsn't she lovely カバー↓
ローリング・ストーンズの刺青の男↓
ニューヨーク近代美術館での1時間に渡るソロ↓
クラシック音楽とも融合↓
ロリンズに恋するブランフォード・マルサリスと↓
2001年9月11日
彼に再び衝撃が走った。
アメリカ同時多発テロ
世界貿易センタービルの大惨事を間近で目撃した。
しかしこの時は活動休止をしなかった。
家族やファンからの支えにより15日にボストンで行われたコンサートを敢行した。
さすがにもう、年齢からくる衰えも感じたのか
以後は活動を縮小したが
それでも自社レーベルを立ち上げたり
またアルバムもリリース
ツアーも行い日本には5回来たという。
ロリンズは賢者だ。
10年くらいのスパンで精力的に動き
疲れたらゆっくりと休め内省する。
彼には要介護や認知症などない。
自分の領域を達観した
レジェンド、もしかしたら仙人かもしれない。