ジャズドラマーちぐさ~ジャズな生き方で自分を解放しよう!

ジャズドラマーちぐさ、ジャズな生き方で自分を解放する試みをしています。少し疲れた時、ジャズの名曲と共にジャズな生き方で楽になりましょう。

こう見えてもワタクシ、意外と怒りの沸点高いんです。なぜか?

自分が完璧じゃないから。
だから人にどうこう言える義理はない。
以上。
でもね、完璧ってはたしてあるんですかね?
人間社会での完璧な原則っていったら
・人は誰でも息を吸う
・人は誰でもうんこをする
・人は誰でも死ぬ
・人は誰でも完璧じゃない
てことくらいでしょ?


SNSなんかやってるとね
あるんですよ、言葉への誤解が。
Facebookでの私はアホみたいに弾けてるし
リアルでの私だってそれより多少ましなものの
やっぱりおかしなこと言って誰かが笑ってるシチュエーション多いし。
だから当然、批判、皮肉もたくさん受けます。
ぶっちゃけ、その時は地味に傷つきますけど
じゃあだからと言って、コメントの内容気をつけよう
なんて、思わないで下さい。
だって、こっちだって気を遣うもの。


明らかに悪意のあるものはちゃんと分かります。
でも、ちょっとした言葉のそれとかで
その度に気にしないで下さい。
もし私が本当に怒った時は
一言だけ言ってやってからブロックしますので。
だから、今現在ブロックされてない方は
安心してください。


完璧じゃないどころかダメダメな部分ありまくり
ちょっとばかし残念な私ですから
相手に完璧なんてとても求められません。
あ、でもしつこくネチネチされるのは苦手ですので
そこんところだけよろしくです。
それ以外では、仏の顔も三度までよろしく
1度や2度のそれじゃ怒れません。
怒るのってとても疲れるんですよね。
しかもその多くが建設的でなく
ただ燃料を無駄遣いしてるだけなので。

先輩として誰かにアドバイスする時に絶対にやってはいけないたった一つのこととは?

他人を引き合いに出さないこと。
仕事でも家族間でも趣味のことでも
何でも言えることだが
あなたが先輩として新人にアドバイスするなら
彼/彼女にとっての他人の例を出しては
絶対にいけない。


あなたは出来てない
あなたはまだまだだ
いくら自分で分かっていても
やはりそう言われるのは
気持ちがいいこととへ言えない。
とは言っても、そんなアドバイス
時には有難い成長材料でもあるし
第3者の感想が間違っているとは
言いきれないからだ。


しかし、せっかく気を使って伝えた
先輩からのアドバイス
他人の例を出すことで
有難いものから迷惑なものになる。
〇〇さんが成績がいい
△△さんはこんなに実力がある
たとえそれが事実だとしても
相手は自分が否定された感をおぼえ
どんどん距離を置いてしまう。


もちろん、する側は決してそんなつもりはない。
でも、言われた側のダメージは案外深い。
どうしても他人の例を挙げるならば
後輩から「〇〇さんはどうですか?」と
具体的に聞かれた場合。
そうでなければ
「△△さんはその点がとても優れている
でもあなたには一方でこんな持ち味もあるよ」
と、フォローしよう。


こんなこと言ってる自分が甘ちゃんなのは
百も承知してる。
でもね、ちょっと立場を入れ替えて考えてほしい。
もし先輩であるあなたが
誰かを引き合いに出され比較されたら
そうされて嬉しいだろうか?
心底有難いと言えるのだろうか?
他人と比べるのはそもそもナンセンス。
自分自身も、相手にたいしてもね。

マウンティングとか縄張りとかって、もはや動物の行う行為なんですってば!


Charles Mingus - Pithecanthropus erectusピテカントロプスになる日も~て歌があったなぁ・・・。


まずはこちらをご覧になって下さい。
縄張り(Wikipedia引用)
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/縄張り
マウンティング(weblio辞書引用)
http://www.weblio.jp/content/マウンティング


こういうこと、平気でやってる人いません?
人間なのに!
バカですか?あなたは猿ですか?
まあ、そういう人に言ったところで
理解してもらえないのが決定してるので言いませんが。


人間って一人で生まれて一人で死んでいくのに
どういうわけだか生きてるときは一人では何もできない。
誰かに協力され誰かの助けとなって
時には誰かを傷つけ誰かから傷つけられる。
迷惑をかけてかけられ与えて受け取って。
昔にあった失敗とかなんてたいてい誰も気にしてないし
自分にとっての人生の汚点だとしても
相手からしてみたら「え?そんなことあったけ?」
なくらいにどうでもいい話だったりする。


いい?
たいしてえらくもないのに上から高圧的な力をかけてくる
マウンティング者とか
たいして魅力もないのに私はあんたなんて相手しない的な
縄張り意識過剰者とかって
世間の人から見たらただの普通の人。
マウンティング者が下に見てる馬鹿者と
縄張り意識過剰者が排斥してるはぐれ者と
全然変わらないから。
待てよ、むしろ馬鹿者やはぐれ者の方がえらいのかな?
だって、彼らは人間であって
マウンティングや縄張り持つ方が動物なんだもの。


だからいつも言う。
一匹狼でないとダメなんだって。
誰もが独立した一匹狼でいられるからこそ
相手の狼のことだって尊重できるし
お互いが尊重しあっていたら
かりに集団になったってうまくいけるんだよ。
でもそらがただの縄張り集団じゃ
そのコミュニティは必ず破たんするから。
一人が狂ったらみんな狂っちゃうもん。


もう一度言うよ。
マウンティングとか縄張りとかって
もはや動物の行う行為なんですってば!
どうせ同じ動物を目指すんだったら
一匹狼のほうがかっこいいじゃない!

お金よりも外見よりも才能よりも武器になる一番の財産とは


01_Stablemates
いつだって安定の仲間を持っていよう。


仲間
同じ目的を持った仲間
同じ趣味を持った仲間
生きる世界は違っても、いつも見守ってくれる仲間。
どんなにお金があって美しくて才能豊かでも
仲間がいなければ何もできない。
逆に、お金はまあそれなりでも
決して美しいというわけでなくとも
才能もありあまるほどというわけでなくとも
仲間がいれば何でもできてしまう。


何かのやりはじめの頃は、とりあえずやみくもに仲間を探す。
同じような趣味を持った仲間や
家族や友人などリアルなつながりでの仲間まで。
でも時にはその過程で傷つくこともあるだろう。
そんな時に、自分の怒りや悲しみを受け止め
共感や適格なアドバイスをくれるような存在こそが
本当の意味での仲間である。
今私は主たる発信場のFacebookだけでも
334人の仲間とつながっている。
その中にはリアルで知り合ったつながりもあれば
スマホの中で会話するつながりもあったり
ここをきっかけにしてリアルでもつながった関係も少なくない。
ごくまれに事故があるときもあるが
そんな出来事さえも仲間がいてくれたら
何も恐れることはないのだ。


人間は一人で産まれて一人で死んでいく。
でもその最初から最後までの時は
たった一人で過ごすことなんて不可能だ。
いろんな変化の中にいながらも
仲間と過ごすときを送る。
一匹狼たちでありながら集団で生きる
不思議な生き物だ、人間は。
常に誰かとずっと一緒にいると一人になりたくなるが
そのような状況が快適な時間はそんなに長くない。


落ちこぼれ、いじめられっ子の味噌っかすだった私
仲間という存在がいたようでいなかった。
いつも自信がなくダメのループから抜けられなかった。
しかし今は・・・


毎日335人の仲間といて、とても幸せだ。
彼らは私が生きている今の時間に彩を与え
私の心と頭を刺激的で豊か楽しいものにしてくれる。
だから、もう何も怖くない。
なんだってできるんだ!
今までのあの閉塞感は
一体なんだったんだろう。

自分のことをオジサン、オバサン認定するのはそろそろ辞めようか


Duke Pearson Trio - Jeannine
Jeannine, 日本語表記だとジャニーヌ。女性の名前だけど美しい響きがする。いくつになっても美しい女性のような・・・。ところで、


40過ぎたらオジサンオバサン?
誰がそんなこと決めたんですか?
いつの時代の話ですか?
戦前の平均寿命50歳代の時の話ですかね。
もはや80年以上も日本人は生きるっていうのに
人生の半分以上をオジサンオバサンとして
卑屈な気持ちで生きていくんですか?


そりゃね、誰だって20代、30代の頃よりは
若干衰えるところってのはありますよ。
でもね、10代から見たら20代だって
立派な年長者のオジサンオバサンなんだし
1歩ずつ死に近づいてるんだから
当然その時点でもガタがきてるの。
そんなこと言ったら成人した時点で
誰でもオジサンオバサンなの。


もう年だからチャレンジなんて出来ない。
もうオジサンだからスポーツなんか無理だ。
もうオバサンだから好きな服なんか着れない。
何勝手に決めつけてるんですか?
そんなこと言っておきながら
一方では、還暦をとうに過ぎたけど
元気でかっこいい人見て「いいなぁ〜」て。
おかしいですね、じゃあ自分も目指せばいいじゃん。


誰かに出会って年齢が重要になるのは
その人の生まれた時の時代背景だけ。
1950年生まれ、朝鮮戦争の特需で好景気だった時
1974年生まれ、オイルショックで日本中がパニックしてた時
1999年生まれ、2000年問題でこれまた世界中がざわついてた時
その人はたまたまそういう背景の下生まれただけ。
その人はたまたま自分よりも先か後に生まれただけ。


そして忘れないでほしいのが
目の前にいる40歳以上のその人は
オジサンでもオバサンでもなく
固有の名前を持った1人の人間だということ。

普通じゃない星の下に生まれてきてよかったと思える一番大きな理由

今の自分がいるから。
今の自分、今の仲間、今の生活。
そのすべてが今までの自分と直結してるから。


もし私が、普通の家庭で育ち、普通の脳みそと性格を持っていて
普通のお仕事をして、普通に結婚出産子育てしていたら
今このブログを書いていることもなければ
今ドラムを叩きジャズを聴くことも
今の仲間とも出会っていなかった。


だから思う。
変なやつでよかったなぁ。
どうせどんな人間だって誰かから嫌われるんだし
悩み事や迷うことにだって出会うのだから。
人生で出会う苦しみや悲しみの総数は
実はみんなそれほど変わらない。
その分の喜びや楽しさもあるから。
それぞれが相殺しあって普通の日々を送れている。


不思議なことに、昔はよかったなぁ
と思ったことがこれまでの人生で一度もない。
仲間はずれにされたときでも
ハラスメントに遭った時でも
なぜかあの頃に戻りたいなんて考えはまったく起こらなかった。
どうしてかはわからないけど
幼い頃の決して楽しかった子供時代とは言えない日々があったからだろう。
もっとも、これから未来はもっとよくしたいから
この状況から抜け出したいと思ったことは多々あったけど。


今?今ももちろん。
それどころか、今を捨てるくらいなら
過去になんて死んでも戻りたくないから。
それだけ今がとっても楽しいわけだけど
10年後の自分が、10年前の今の私を振り返って
あの頃は楽しかったわぁ、戻りたい
と言ってる姿も想像できない。

いつも出来るだけ同じ状態を保っているためにやるべきこと一つ


Stan Getz & Joao Gilberto - Getz/Gilberto (1963)
目下格闘中のボサノヴァだが、聴くだけならリラックスにいい。

思い切ってしっかり休むこと。
今取り組んでること、どんなに好きなことでも
やっていくうちに煮詰まる時が必ずある。
そんな状態でやり続けていてもうまくいかないし
そこでミスをしてしまうと大きな打撃を受ける時もある。


だから、思い切って一度休んでみることだ。
完全オフの日を作ってしまおう。
そう決めたらその日はもう考えない。
心や気持ちにも空気の入れ替えをしてあげないと
体も頭も壊してしまう。


今日はいつもと関係ない場所に行き
関係ない人と会い、関係ないことをする。
だから決めた。
今日はスタジオには行かない。
今日は子供達と過ごし、久しぶりにママ友と話そう。
今日は子供達とやれることをやろう。


そういう逃場を持っておけば
心と体にアソビの部分が出来る。
どんなに笑っても泣いても
与えられた時間は同じ、明日はまた来る。
石油の国の王様であっても、平々凡々なそこのあなたにも
これだけは絶対的に平等なことだから。
人間のデフォルトは波があることだ。
でも浮き沈みにまんま身を任せていたら船酔いする。
波をうまく読みながらも
オンとオフに乗っていく。
時間をサーフィンするようにね。