ジャズドラマーちぐさ~ジャズな生き方で自分を解放しよう!

ジャズドラマーちぐさ、ジャズな生き方で自分を解放する試みをしています。少し疲れた時、ジャズの名曲と共にジャズな生き方で楽になりましょう。

大きな障碍を乗り越え、世界を超え偉大な人物を作り上げてきた筋金入りのジプシー

ジャズに限らず、ギターという楽器は今はバンドのサウンドの要として市民権を確立した。
ロックやポップスなどはギタリストがない曲の方が少数派だし、ジャズでもパット・メセニーのように、ギターを専門とするジャズミュージシャンという存在がいるくらいだ。
ジャンルに関係なく言えることだが、ギター専任ミュージシャンは鮮やかなテクニックで美しいソロを奏でる傾向にある。
手先が器用で繊細で、性格的にはやや完璧主義で頑固一徹タイプだ。

彼らが今当たり前のように生み出すアドリブだが、ジャズでギターサウンドがこのようにソロをリードして目立つようになったのは意外と最近のことだ。

その第1人者となったのが
Django Reinhaldt。
ジャンゴ・ラインハルト
ちなみに頭文字のDは読まない。
ロマ系旅芸人の両親の元に生まれ
文字通りジプシーそのものの生活を送った。
そんな生活の中で、ギターやバイオリンを練習していた。
ジャンゴというのへロマ語で「私は目覚める」という意味のニックネーム。
日本名でいえば「覚(さとる)」といったことろだろう。

彼が育った時代、ジャズはまさに空前のスイングブームだった。
10代の頃はバンジョー弾きで、ダンスホールなどで演奏するような活動をしていたが
ビリー・アーノルドの演奏を聴いたのをきっかけにジャズへと覚醒する。

しかし着実に演奏活動をしていた最中、火事を守るために大火傷を負い、左手の薬指、小指に障碍が残った。
もうギターは弾けない、深く絶望したがそれも一瞬。
障碍の残る指を浮かしながら弾く独自の奏法を生み出し、それどころか前代未聞の、アドリブギターソロまで発明する始末!
スイングが流行した当時、ジャズサウンドでのギターの地位はあくまでバッキング専門だった。
それをジャズ花形でもあるアドリブソロにしてしまった!

そんなジャンゴの華々しい活躍はたくさんの著名人の目に止まった。
一生のパートナーとなったステファン・グラッペリ(ヴァイオリン)と奏でる独特のサウンドは後にジプシージャズとして新しいジャンルを確立
その活躍ぶりはギターの創造主、ギブソンレスポールを造ったレスポール氏に絶大な影響を与えた。
もしジャンゴがいなかったら、カリスマギターのレスポールはなかった。
もしかしたら、ジミー・ペイジランディ・ローズもいなかったかもしれないと考えると
これは大変なことである。

ジャンゴのカリスマ的影響力はその後もとどまるところを知らず、発表する曲の多くが映画音楽に使われ
それだけでなく、ジャンゴに捧げる名曲も生まれ


また日本人の名アーティスト、ゴンチチは実はジャンゴに深く傾倒している。

晩年の彼は、その障碍に悩まされストレスから頭痛を発症するようになる。
頂点に立った人間の孤独な戦いに苦しみ
そしてわずか43歳にして、フランスの友人が経営するレストランで帰らぬ人となった。死因は脳出血
彼の残した功績で何人もの偉大なミュージシャンが生まれ、みんな彼を愛した。
ジプシー生活をし、困難にめげなかった強い男だった。軽快なサウンドからは想像もつかない苦悩と才能があったに違いない。
これらのアルバムはそんな彼の生きた証だ。