ジャズドラマーちぐさ~ジャズな生き方で自分を解放しよう!

ジャズドラマーちぐさ、ジャズな生き方で自分を解放する試みをしています。少し疲れた時、ジャズの名曲と共にジャズな生き方で楽になりましょう。

言論を武器に戦ったヒーローから考える正義感とは?

今年の7日に、ジャズ評論家
ナット・ヘントフ氏がこの世を去った。
享年91歳
ビリー・ホリデーの歌に見守られながら永眠したという。
最高にジャジーな死に際だ。

ナット・ヘントフ
アメリカのジャズ界にほ無くてはならない存在。
彼の記事、著作が黄金期から今までのジャズを支えてきた。
しかしそんな彼は一方で
攻撃的で怒りっぽいという激しい一面もあり
自由な言論を武器に口撃を繰り返した。
ベトナム戦争、人種差別、メディア批判から
中絶問題、死刑廃止への反対
まで幅広く彼は戦った。

そんな彼は、実に正義感の強い男だ。
信念を曲げず、相手によって戦法を変えない。
彼の目の前にいる人間なんて半分以上敵だったろうけど
それでも彼は曲げなかった。
もっとも、自分では向かうところ敵なしだとさえ
思っていたことだろう。

でも現実に、こんな人がいたらかなりめんどくさい。
たとえばの話
イジメはイジメる側だけが一方的に悪いのか?
という論争。
もちろん、イジメ自体は推奨されるものでないし
出来ればやりたくもやられたくも見たくもない。
しかし中には、イジメ問題はイジメられる側にも原因がある、と考えるヤツもいる
彼らの考えは一見、理不尽で無茶苦茶だ。
しかしよく聞いてみると、それが完全に間違っているとも言えないのだ。

ヘントフ流でいうところだと
イジメなんて100パーセントイジメる側が悪い。
イジメられる方には何の落ち度もない。となる。
でももしかしたら、そのイジメは
復讐からくるもの、どうしようもない妬みからきているかもしれない。
人間だから誰しもこのようなマイナスの思いを持っている。
正義感一本で責め立てるのは
そういう人間らしい部分まで否定してしまうことになってしまう。

正義感が強いというのは本人はいい。
社会を大きく動かせる力のある人なら
少々過激?な発言をするくらいの方がむしろ魅力的だったりする
でも一般人のミクロ社会では
正義感というのはあまり歓迎されない。
正義のヒーロー(気取り)は正しい自分が絶対過ぎて
人の話を聞かなかったり、考えを押し付けたりするから
残念ながら現実では使えない能力だ。
何でもかんでも合わせてテキトーにというのは楽すぎてダラケちゃうけど
正義感溢れて肩凝りしながら生きるのも見てるだけで疲れる。

ヘントフ氏も、戦闘の太く長い人生を終え
ようやく天国でゆっくり友の演奏を聴いているだろうか。
それともあちらでも言葉の暴君ぶりは健在で
怒りん坊ミンガスとガチンコ対決を楽しんでいるだろうか。
RIP