ジャズドラマーちぐさ~ジャズと私と生き方と・・・

ジャズドラマーちぐさの、大好きなジャズのことと生き方について書いてます。

人生の最後までエネルギーとチャレンジ精神をわすれなかった男の話

マイケル・ブレッカー



2007年1月13日、一人の男が安らかな眠りについた。
突然の知らせに私は驚き、ショックを隠せなかった。
死因、白血病。享年57歳。
その2週間前まで新作のレコーディングに勤しんだ。
病室に愛用の楽器や機材たちを持ち込んでまで。

この中の曲たちがライブで聴けることは
もはや無くなってしまった。
共に最期まで一緒に仕事をした
ジャック・デジョネットブラッド・メルドー、パットメセニー、ロン・カーター、ジョン・パティトゥッチは
病に苦しみながらも渾身のエネルギーを生み出す彼をどんな思いで見ていたのだろう。
レコーディング中に抗がん剤の副作用などで
気分が悪くなったり、ふらふらしたりしたことだろう。

そんなマイケルは、コルトレーン以降
ジャズサックス界において最も影響力を与えたが
彼もまたいくつもの開拓者型天才の要素を持っている。

1949年3月29日アメリカ
フィラデルフィアペンシルベニア生まれ。
弁護士の父はサックスのテクニックはセミプロ級と、次男マイケルは言う。
そんなブレッカー家では、毎晩夕食後に家族セッションをしていたという。
その中でのマイケルはサックスではなくクラリネットと、そしてドラム。

そんな家庭で育ったマイケルだが、一旦は大学に進学するがほどなくして
兄ランディ(トランペッター)に従う。
70年代からホレス・シルバーと共演したのをきっかけに自身のリーダー作として8枚のアルバムをリリースした。
ブレッカーブラザーズやステップ・アヘッドなど、兄弟での制作では互いが共リーダーと
あまり主張しあわず案外友好的だ。

一方、独立してリーダー作を発表するときは
それぞれランディ、マイケルとセルフブランディングする。

その後は、自身がリーダーととる場合もあるが、サイドメン、ツアー&スタジオミュージシャンとしても活発だ。
その顔ぶれをざっと挙げてみる。

ハービー・ハンコック
パット・メセニー
ジャコ・パストリアス
小曽根真
渡辺香津美

ジャズだけでない。
ジョン・レノン
フランク・ザッパ
サイモン&ガーファンクル
ポール・サイモン

これだけでは終わらない。
日本人なら誰もが知るこんな顔ぶれもある。
野口五郎
古内東子
吉田美和(ドリカム)
そして、SMAP

マイケルは一つのジャンルだけに留まらない。
多様なテクニック、変幻自在な柔軟性、順応性。
ジャズからポップス、アイドルソングまで
これほどの適応力を持ったミュージシャンはそうそういないだろう。
その幅広さこそが、あちこちから引っ張りだこになるほど信用されてたことを物語る。
共演作だけで1000作を超えると言われる。

またそれは自身のリーダー作でも
ウィンドウ・シンセサイザーなどの電子楽器を取り入れたり
ヘヴィメタルとタッグしたアルバムを出したりと、彼のチャレンジ精神と探究心はもはや限界を知らない。
かつてのハービー・ハンコックのような試みをいくつも開拓してきたが
やはり評論家から批判の声も多く上がった。

1995年頃からはリーダーとしてアルバムを出し始めたが、それには、マッコイ・タイナーエルヴィン・ジョーンズなど、憧れのコルトレーンの盟友が参加に名乗りを挙げるなど、彼はますます乗っていった。

しかしそれから10年くらいして
彼が白血病に罹っていることを公表した。
まだ若く、意欲に溢れた彼にとって
音楽活動が出来ない闘病生活は地獄のようだったはずだ。
ある動画では、ものすごく調子外れな音で彼らしくないヘナヘナフラフラな演奏をしているのがあったが
そんな状況にあっても彼の情熱は逆に燃え上がる一方だったのだろう。

マイケルはそんなエネルギー溢れる天才ミュージシャンの一方、とても家庭的な面もあった。
弁護士の父親のことをとても尊敬し
兄のランディとは仲が良かった。
またオフの時間の一番の楽しみは、息子のフットボールを観戦することだったという。
自分より先に逝った弟に、ランディの悲しみはとても深く、しばらく立ち直るのに時間がかかったという。

生前に彼のライブを見たことがある。
ブルーノートのようなひな壇の華やかな会場でなく
客と同じ目線の東京TUCでのシンプルな4tet。
ジャズを見る目に肥えた叔母曰く
彼は子供のように伸び伸びと楽しそうに演奏する、と。
その時の肩肘貼らず、笑顔で吹くマイケルは
まさに、天真爛漫そのものだった記憶がある。
今もなお、天国でもエネルギッシュにセッションしてるだろう。
そのメンバーは、マイルスやモンク、ブレイキー、ポール・チェンバースたち大先輩かもしれない。